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●第16回シニアサッカー交流大会 in 堺NTC/田辺 五兵衛記念大会(2010/9/20)
第16回シニアサッカー交流大会 in 堺NTC/田辺五兵衛記念大会が、9/20(祝・月)に開催されました。
主催:NPO法人 大阪フットボールクラブ
後援: 関西サッカー協会、大阪府、大阪市、堺市、西日本OBサッカー連盟 関西地域
Rクラス(70歳以上) |
4試合 |
Vクラス(60歳以上) |
11試合 |
Aクラス(50歳以上) |
10試合 |
Bクラス(40歳以上) |
7試合 |
16チーム約250名の参加となり、R・V・A・Bの4クラスに分けて、合計32試合の熱戦が繰り広げられました。
記念式典では、NPO大阪FC松本弘理事長のご挨拶のあと、これまでの功労を称えて、NPO大阪FCの永井廸夫氏に、
田辺五兵衛賞の贈呈式が行われ、代理で勝谷氏が受け取られました。
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田辺 治太郎(第14代田辺 五兵衛) |
第1回日本サッカー殿堂 掲額(2005年3月10日承認・2005年5月27日式典)
1908年3月18日、大阪府生まれ
大阪商科大学(現大阪市立大学)卒業
田辺製薬株式会社取締役社長
1945〜1946年、日本蹴球協会会長代行を経て、1946年、副会長に就任。戦後の混乱期に、サッカーの復興に心血を注ぐ。第11回オリンピック競技大会(1936/ベルリン)の派遣費用として多額の寄附を行うなど、戦前から戦後にかけて財政的にも日本サッカー界を支える。また、戦前より関西蹴球協会設立に尽力し、初代会長をつとめるなど、関西地区のサッカーの普及、発展にも寄与。1920年代に田辺製薬サッカー部を創設。実業団チームの先駆けであり、戦後は、社会人サッカーのリーダー的存在となった。
内外のサッカー事情に詳しく、JFA機関誌等を通してサッカーの情報を広く提供してきた功績は大きい。特に、1962〜1971年まで機関誌『サッカー』に連載された「烏球亭雑話」が有名である。
旧蔵の収集品と文献を「田辺文庫」に残し、その業績を広く後世に伝えている。
1972年 勲三等瑞宝章
1972年没
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(資料提供:財団法人日本サッカー協会、日本サッカーミュージアム) |
「田辺文庫」は現在、氏が設立時に副会長を務めていた社団法人神戸フットボールクラブに寄贈され保管されています。
大会横断幕 |
松本弘理事長のご挨拶 |
田辺五兵衛賞の贈呈式 永井氏代理勝谷氏 |
田辺五兵衛賞の贈呈式 永井氏代理勝谷氏 |
大会記念表彰トロフィー |
2007年田辺サッカークラブ80周年記念Tシャツ
(さて誰の背中でしょう?) |
Rクラス:滋賀OB vs 神戸FC |
Rクラス:滋賀OB vs 神戸FC |
Rクラス:滋賀OB vs 神戸FC |
Rクラス:滋賀OB vs 神戸FC |
Rクラス:滋賀OB vs 神戸FC |
Rクラス:滋賀OB vs 神戸FC |
Rクラス:滋賀OB vs 神戸FC |
Vクラス:滋賀OB vs 神戸FC |
Vクラス:滋賀OB vs 神戸FC |
Vクラス:滋賀OB vs 神戸FC |
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